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川原俊夫ふくや創業者の子供や孫は?年収について【奇跡体験!アンビリバボー】

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奇跡体験!アンビリバボーで川原俊夫さんと妻の千鶴子さんを特集します。

 

川原俊夫さんって誰?って思われる方が多いと思いますが

博多名物の明太子と言えば知っている方は多いはず!

 

明太子で有名な「ふくや」の創業者が川原俊夫さん

 

川原俊夫さんの子供が「ふくや」の現在の社長さんで

孫が「やまや」の社長さんをしています。

 

川原俊夫さんのプロフィールや経歴

生い立ちや妻や子供と孫について

息子で現在の社長の年収などを調べてみました。

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川原俊夫さんの生い立ちなどプロフィール

名前:川原俊夫

生年月日:1913年1月25日

没年:1980年7月17日(享年67歳)

出身地:釜山市

出典 https://fanfunfukuoka.com

 

博多名物の明太子で有名な「ふくや」の創業者の川原俊夫さん

 

川原俊夫さんの父親が川原宇次郎さんで母親がトヨさん

現在の筑前町出身ですが、

明治時代の後半に韓国の釜山市に渡っています。

 

海運業をしながら商店も経営

現地の日本人に対して

海産物や缶詰を販売していました。

 

両親(川原宇次郎さんとトヨさん)の次男として

1913年に韓国の釜山市で生まれます。

 

釜山公立中学校を卒業して

中国の満州にある電力会社に就職

 

1936年に田中千鶴子さんと結婚

 

妻の千鶴子さんが福岡県出身だったことで

両家は凄く仲が良かったそうです。

 

1944年に戦争で日本陸軍に招集されて

宮古諸島の伊良部島に配属になって

宮古島で終戦を迎えました。

 

終戦後に沖縄から両親の出身地の福岡へ

妻の千鶴子さんは中国の満州から福岡へ

二人の再会は2年ぶりだったそうです。

 

戦争が終わった後の福岡では

川原俊夫さんのお兄さんのお宅でお世話になっていました。

 

しかし長くお世話になって迷惑をかけていられないと思っていた時に

新聞で中州マーケットの入店募集を妻の千鶴子さんが見つけて

お店を持つことになったのです。

 

妻の千鶴子さんの希望でお店を持つ事に・・・

妻の希望や説得がなければ

現在の「ふくや」が存在しなかったのかもしれません!

 

こうして1948年から初期の「ふくや」が始まりました。

 

ふくやの初期のお店は戦後で物のない時代ですが、

店舗向けの食料品を卸す卸両店としてスタート

 

ここからふくやの歴史が始まりました。

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川原俊夫さんが開発した明太子のプロフィール

川原俊夫さんが目玉になる商品を開発しようと考えて

思いついたのが

韓国のメンタイ!

 

夫婦の思い出の味が

韓国の釜山市で食べていたタラコ

この韓国のタラコが忘れられなかったし

売れば人気商品になると考えたそうです。

 

自宅の食事で食べる為に作り始めてから

韓国からの引揚者にタラコをおすそ分けすると

「美味しかった」「懐かしい」と評判がよく

 

妻の千鶴子さんと改良を重ねて

1949年1月10日から販売をするようになったのです。

 

この販売初日は後日「明太子の日」と認定されています。

 

しかし現実は甘くありませんでした。

 

販売翌日には「辛すぎる!」とクレームの嵐

出典 https://pixabay.com

 

韓国と同じ味では辛すぎだったのです。

博多の人達は辛子の辛さに慣れていないために

食べられなくて

 

なんとタラコについてた唐辛子を洗って

焼いて食べたそうなんです。

 

韓国の唐辛子の辛さって

慣れていない日本人には辛すぎですよね!

 

キムチなんかも日本人向けに辛さ控えめになってますから・・・

 

明太子って博多でできたものって思ってましたけど

韓国が発祥地だったんですね!

知りませんでした。

 

川原俊夫さんは諦めませんでした。

店頭に並ぶ明太子への評判は最悪で

全く売れないのに改良を重ねること十年近く・・・

 

お店の従業員からは「道楽」と冷やかされても

改良・販売を続けておよそ10年

1957年に辛子明太子が完成しました。

 

ちなみに創業当時の全く売れなかった明太子を

2012年に再現して

「辛皇 ホットエンペラー」で販売したそうです。

 

通常の明太子の辛さの13.5倍という創業当時の明太子

しかしオーダーが凄く2万個以上を販売したそうです。

出典 https://pixabay.com

 

激辛ブームとかあって

カレーやラーメンなんかの激辛なんてありましたね!

 

時代が変われば

人気商品も変わるんですね!

 

改良を重ねて日本人の辛さにあう明太子の味に完成したのが

10年の月日を費やして1957年

 

川原俊夫さんは地域でボランティア活動をしていたので

ボランティア活動の時には明太子を持って言って

食べてもらって感想を聞いて

その情報から明太子の改良を続けていたそうです。

 

徐々に売れるようになっていった明太子

料理屋で出されるようになると

サラリーマンなどを介して福岡県外にも知れ渡るようになりました。

 

大阪で評判となった時には

2トントラックに明太子を積んで運送するほどの大量注文も・・・

 

そして博多に新幹線が乗り入れた時には

博多のお土産としての知名度がアップ

 

博多名物と言われると

明太子!っと答えられる程の知名度になりました。

 

川原俊夫さんの作った明太子と

韓国のメンタイの違いが

川原俊夫さんの明太子は調味液に漬け込む事

 

タラコを調味液に漬け込む事で

日本人になじむ味となったようです。

 

ここまで明太子の知名度が上がったワケですが、

川原俊夫さん一人で独占しなかったことが挙げられます。

 

商標登録や製法特許を申請しないで

同業の人達に明太子のレシピを

惜しげもなく公開して

明太子の味を広げたからです。

 

普通だったら

自ら開発して人気商品を

人に教えないで秘密にしておきたいのが心情ですけど・・・

 

戦争の沖縄戦で生き残った経験で

この命を自分自身の為でなく

国の復興や社会の為に使いたいと考えていたそうで、

明太子が町の名物になればという考えから

明太子のレシピを惜しげもなく公開していたそうです。

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川原俊夫さんの妻の千鶴子さん

川原俊夫さんの両親と同じ福岡出身の両親を持つ妻の千鶴子さん

 

妻の千鶴子さんは、明太子は博多が生んだ日本の味と言っています。

 

明太子の生みの親である妻の千鶴子さん

博多の名物にまでなってびっくりしていたそうです。

 

明太子のきっかけが韓国の釜山市に住んでいた事

 

韓国名物のキムチは川原家にとって欠かせない食品で

明太子を開発するのにキムチから沢山のヒントを得ていたそうです。

 

それでも売れるようになるまで10年間という長い期間

改良を重ね続ける努力って

並大抵じゃないですよね!

 

妻の千鶴子さんが旦那の川原俊夫さん以上に

明太子に情熱があったんじゃないでしょうか?

 

結婚前の妻の千鶴子さんの経歴を調べてみてびっくり!

陸上の100メートルで

朝鮮全土の女子記録を更新して

アムステルダムオリンピックメダリストに

日本体育大学への推薦をされていたそうです。

 

運動神経抜群だったんです。

川原俊夫さんの子供

川原俊夫さんには二人の子供がいます。

出典 https://pixabay.com

 

二人の子供がそれぞれ社長に就任しています。

 

最初に父親の後を継いで社長に就任したのが長男

川原俊夫さんの長男プロフィール

名前:川原健

生年月日:1943年

年齢:75歳(2018年)

出身地:中国・満州

学歴:慶応義塾大学

 

長男の川原健さんの経歴ですが、

慶応義塾大学を卒業して福岡にある

福岡相互銀行(現・西日本シティ銀行)に就職

 

19年間の銀行勤めで支店長2回に部長をしていた健さんですが

お父さんが胃潰瘍で体調が悪く

ふくやを手伝ってほしいと話がありました。

 

当時、支店長をしていたのですぐに銀行を辞めて

家業を継ぐことができませんでした。

 

お父さんから話があった翌年の1980年(昭和55年)7月に

川原俊夫さんがお亡くなりになりました。

 

お父さんが亡くなられてから9年後の1989年に

銀行を辞めて家業のふくやに入社

専務・社長・会長を務めました。

 

お父さんが体調を悪くして

家業のふくやに先に入社したのが次男

 

川原俊夫さんの次男のプロフィール

名前: 川原正孝

生年月日:1950年3月18日

年齢:68歳(2018年)

出身地:福岡県

学歴:甲南大学経営学部

 

次男の川原正孝さんの経歴ですが、

福岡県内の高校を卒業して甲南大学へ進学

 

大学時代には空手とアルバイトに精を出し

勉強はしなかったそうですが、

 

当時は景気がいい時代で

大手の会社に入りやすかったのですが、

正孝さんはアルバイト先で働くつもりだったそうです。

 

 

でもお母さんの千鶴子さんが心配して

長男の健さんに

勤務先の銀行で面接をしてもらえる手配をしてもらったのです。

 

しかし面接時に次男の正孝さんは

丸坊主にサングラスで登場

 

面接の結果は・・・・・

でも景気のいい時代で

長男の健さんの人望なのか

銀行に就職ができたようです。

 

素行???な正孝さんですが

営業成績は常に上位にあり

本店営業部の部長代理までに・・・

 

でもお父さんが体調を崩して

家業を手伝ってほしいという話になった時に

長男の健さんは支店長ですぐにやめる事が困難な事もあり

次男の正孝さんが先に家業を手伝う事になりました。

 

ふくやに入社した正孝さんは

会社を法人化して社員教育を徹底

明太子の通販や明太子以外の商品販売などを導入して

会社の売り上げを伸ばしていました。

 

お父さんが亡くなって9年後に

長男の健さんが入社した時には、

正孝さんが入社した時の3倍の売り上げ

60億円に達していたそうです。

 

長男の健さんが入社してから

常務・副社長・社長を務めています。

 

川原俊夫さんの子供の兄弟仲は凄いいいんでしょうね!

 

ちなみに

ラーメン「なんでんかんでん」の川原ひろしさんは

川原俊夫さんのお兄さんのお孫さん

川原俊夫さんの孫

現在のふくやの社長さんは

川原俊夫さんの孫

長男の健さんの子供が社長をされています。

 

川原俊夫さんの孫プロフィール

名前:川原武浩

生年月日:1972年

年齢:46歳(2018年)

出身地:福岡県

学歴:国学院大学法学部

 

川原俊夫さんの孫にあたる武浩さん

長男の健さんの子供さんです。

出典 https://pixabay.com

 

國學院大學を卒業して

ふくやに2004年に入社

 

取締役統括本部長から副社長になり

2017年から社長に就任しています。

 

社長は10年で交代がベストで

自分が最後の世襲制の社長と語っている孫の武浩さん

 

時代に合った明太子商品の開発で

無添加明太子や減塩明太子などに

明太子をチューブに入れたり缶詰にしたりと

明太子商品を進化させる開発をしています。

 

明太子の新商品だけでなく

ふくや本店の近所に

ケーキショップをオープン

 

ケーキショップをオープンしたワケは

明太子が50歳代の購買層なので

幅広い年齢層をターゲットにしたくて始めたそうです。

 

ケーキショップの開店時間が午後5時

閉店時間が平日は夜中の2時

日曜・祝日が夜12時と変則な時間帯

 

この営業時間で

帰宅途中のサラリーマンの家族へのお土産として

クラブのホステスさんや

飲んだ帰り客をゲットして繁盛しているようです。

 

中州ロールという長さ55.5センチのロールケーキがヒット商品に

 

お孫さんのアイデアも凄いので

明太子を甘いケーキとして発売する日がくるかもしれませんね!

川原俊夫さんの年収

川原俊夫さんの年収は不明ですが、

博多名物と言われるまでの商品を開発していますが、

事業規模は数店舗程度で現金商売だったそうなので

それほどの年収ではなかったのではないでしょうか?

出典 https://pixabay.com

 

川原俊夫さんが明太子のレシピを惜しみなく教えていたので

儲け重視で年収を気にする性格ではなかったでしょう。

 

中州まつりを始めたり水質改善や橋の設置など

社会貢献に取り組んで寄付もかなりしていたそうなので

年収もそれなりにあったと考えられます。

 

 

次男の正孝さんが家業を継いでから

増産や物流の改革に通販の開始と事業を拡大して

年商が60億円まで伸びたそうなので

 

次男の正孝さんの年収は億単位だったと考えられます。

 

孫の時代になってからのふくやの年商が150億円ほど

従業員が629名ですが、社長の年収は公開されていません。

 

一般的企業の社長の年収がおよそ3000万円と言われていますが

ふくやの社長の年収がこれ以上あるじゃないでしょうかね!

最後に

博多名物の明太子の生みの親で

ふくやの創業者の川原俊夫さんについて

妻や子供に孫と年収について調べてみました。

 

明太子が韓国の食べ物だったという驚き

韓国で育った夫婦が故郷の味を忘れがたくて

10年の月日をかけて改良して開発したのが明太子

 

韓国じゃなく博多の代名詞までになった明太子

妻への思いと地元貢献の思いからできた事だったんですね!

 

ふくやの味は子供から孫へと引き継がれ

孫は缶詰にチューブ入り明太子と

常に新商品開発をし続けています。

 

明太子があればおかずなしでもごはんが美味しい

この味を今後も続けていってもらいたいですね!

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