加藤明偉人伝説!ペルーの英雄の経歴や死因は?【世界なぜそこに日本人】

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【世界なぜそこに日本人】で加藤明さんの偉人伝説が紹介されます。

加藤明さんはペルーの英雄と言われてフジモリ元大統領と並ぶ国民的英雄

なぜ加藤明さんがペルーの英雄となったのか・・・?

彼の偉人伝説というのがペルー女子バレーボールに関係があるようです。

加藤明さんの経歴やペルー女子バレーボールとの関係に

家族(嫁・子供)がいるのか?

49歳という若さでこの世を去った加藤明さんの死因について調べてみました。

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ペルーの英雄 加藤明さんのプロフィールと経歴

名前:加藤明(かとうあきら)

生年月日:1933年1月3二値

没年月日:1982年3月20日

享年:49歳

出身地:神奈川県小田原市

学歴:慶応義塾大学法学部

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加藤明さんの家族(嫁・子供)

加藤さんが結婚して嫁さんや子供がいたのでしょうか・・・?

出典 https://pixabay.com

加藤さんは結婚されていました。

加藤さんのお嫁さんの名前が典子さん

典子さんという女性と結婚していたのですが、

それ以上の情報がなく

子供がいたのかは不明です。

ペルーの英雄として有名な人物なので

子供がいればペルーでは有名になっていると思うのですが、

おそらくバレー監督として忙しい毎日を送っていた加藤さんなので

子供を作る時間がなかったのかもしれませんね!

加藤さんのお嫁さんが現在、日本にいるのかペルーにいるのか不明でした。

加藤さんが若くして亡くなられているので

その後にお嫁さんが再婚した可能性がありますね!

加藤明さんの経歴

8歳の時にローラースケートで転倒して腕を骨折した加藤明さん

骨折した腕のリハビリとしてバレーボールを始めました。

リハビリだったバレーボールに夢中になって

中学校・高校とバレーの練習ばかりしていたそうです。

出典 https://xn--vekw70ybyi.com

高校を卒業した加藤明さんは

慶応義塾大学法学部へ進学

バレーボールに明け暮れていたのに慶応義塾大学法学部って

運動神経だけでなく頭脳も優秀だったんですね!

大学在学中もバレーボール選手として活躍

大学バレーボール界で加藤明さんの知名度が高ったそうです。

大学卒業してバレーボールの実業団「八幡製鉄」に入団

1960年には八幡製鉄のキャプテンになり世界選手権にも出場

しかし世界選手権出場した後に現役を引退

20代後半と若くして引退したんですね!

現役引退翌年からは、慶応義塾大学バレーボール部監督に就任

関東2部リーグで低迷していた大学を

わずか3年間という短期間で全日本大学選手権優勝させるまでに・・・

現役選手よりも指導する方が向いていたのかもしれませんね!

ちょうど、東京オリンピックで東洋の魔女(日本女子バレーボールチーム)が

金メダルを獲得して女子バレーボールが大人気だった時代

そんな加藤明さんに地球の裏側の国・ペルーから

女子バレーボールチームの監督をしてほしいとの要請がありました。

ペルーの女子バレーボールの実力はとても日本に及ばないレベルだった当時

ペルー政府がバレーの指導者を探していて

加藤明さんに白羽の矢が立ったのでした。

加藤明さんはペルー女子バレーボールチーム監督を引き受ける事に

2年間の休職扱いとして地球の裏側のペルーへ向かったのです。

女子バレーボールチームの監督に就任した加藤明さんがどうして

ペルーの英雄といわれるようになったのでしょうか・・・?

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加藤明さんのペルー女子バレーボールチームでの偉人伝説

ペルー女子バレーボールチームの監督となった加藤明さんですが、

彼がペルーの英雄となった偉人伝説というのはなんなんでしょう?

出典 https://pixabay.com

ペルーに到着して女子バレーの監督に就任した加藤明さん

日本の女子バレーとのレベルの差が一目瞭然でした。

まずペルー女子バレーの練習時間が1日わずか1時間

日本の中学生だって1日1時間以上練習してますよね!

ペルー代表選手といっても

日本で楽しんでバレーをする趣味程度のレベルだったそうです。

そんな趣味程度のバレーチームですから

世界的なレベルは問題外!

当然、オリンピックや世界選手権の出場なんて夢

このペルー女子バレーの現状を改革する為に

加藤明さんがとった行動が

まずは、日本女子バレー(東洋の魔女)の練習風景のフィルムの鑑賞

そして厳しい練習を強要した加藤明さん

当然、ペルー女子バレー選手はねを上げてしまい逃げ出す選手が続出!

ペルーの新聞では

「非人道的な練習」・「野蛮な国から来た野蛮な監督」と

誹謗中傷記事が掲載されたほどでした。

しかしそれでも加藤明さんは諦めずに練習を継続すると同時に

ペルー全国を回って優秀な選手のスカウトをしたそうです。

野蛮な監督と誹謗されていた加藤明さんですが、

練習以外でも選手の生活や精神面でも指導

練習後にはよく選手と食事をして

日本のすき焼きをごちそうしたり

ギターを弾いて当時、人気だった坂本九さんの曲

「上を向いて歩こう」を選手と一緒に歌ったそうです。

厳しい中でも練習以外の場所で選手とのコミュニケーションを取っていたんですね!

この加藤明さんの熱心な指導と選手達とのコミュニケーションで

加藤明さんを理解した選手達はバレーのレベルを格段に上げていきました。

1967年には日本開催の世界選手権がありました。

これが加藤さんのペルー女子バレー監督最後の大会でした。

世界選手権のペルー女子バレーの結果は出場国で最下位

日本にも大敗する結果

趣味レベルのバレーチームを短期間の2年で世界レベルにしろっていうのが

最初から不可能な事で誰が監督をしても同じ結果だったでしょう。

この結果に加藤さんは監督をする期間の延長を求めて

休職扱いの延長を申請したのですが認められずに却下

これじゃあー偉人伝説になりませんが・・・

日本開催の世界選手権終了後に

空港でペルー女子バレーの選手を見送った加藤さん

この選手と別れを惜しんだシーンが偉人伝説を引き起こします!

新聞の一面にペルー女子バレー選手との別れを惜しむ姿が掲載されて

この記事を読んだ会社が

「ここまで選手達に慕われてるなら・・・」っと

加藤さんに1年間の休職期間の延長をしたのでした。

監督就任期間が1年延長されてから

加藤明さんが率いるペルー女子バレーが大成長!

世界選手権で最下位と悔しい思いをした事も

選手達を目覚めさせたのでしょうか・・・?

翌年1968年メキシコオリンピックで

オリンピック初出場を果たしたペルー女子バレーチーム

結果はわすかにメダルに届かない4位!

しかし強豪チームのアメリカ・韓国・開催国のメキシコを打破

1年前には世界選手権で最下位チームが

オリンピックで4位の快挙を達成した事で

加藤明さんは「野蛮な監督」から「ペルーの英雄」へ・・・

これがペルーでの加藤明さんの偉人伝説なんですね!

当時は子供が生まれると「AKIRA」と名付ける人が多くいたそうなので、

ペルーの国中で一躍有名人になったんですね!

このペルー女子バレーチームの躍進で

加藤明さんがペルー女子バレーチームの監督に専念することを決めて

日本での仕事を退職してペルー女子バレーチーム代表監督として

指導する為にペルーへ移住するはずだったのですが・・・

加藤明さんに悲劇が襲い掛かります!

ウィルス性急性肝炎になってしまったんですね!

この病気の為に監督を辞任した加藤明さん

病気との闘病生活が10年以上と長期間

そして世界選手権がペルーで初めて開催されることが決定した1982年

49歳という若さでこの世を去った加藤明さん

亡くなった翌日の新聞各紙は「ペルーが泣いている」として報道

首都のリマでは教会の鐘が打ち鳴らされ

車のクラクションが一晩中鳴りやまなかったそうです。

加藤明さんの葬儀にはリマ市民5万人が訪れて

当時の大統領・ベラウンデ大統領が弔辞を

ペルー女子バレーチームの選手達は

加藤明さんと一緒に歌った「上を向いて歩こう」を合唱したそうです。

バレーチームの監督の葬儀なのに

5万人の市民が参加して大統領が弔辞をよこしたっていうのが

加藤明さんの行動が偉人伝説として残っていることが理解できますね!

加藤さんが亡くなってから半年後にペルーで開催された世界選手権

準決勝で日本と対戦したペルーが勝利!

世界選手権銀メダルの快挙を成し遂げたペルー女子バレーチーム

日本に勝利した瞬間にはコートが見えなくなるほどの花吹雪が舞って

「アキラカトウ」の大声援が鳴り響いたそうです。

現在ではペルー大使公邸に加藤明さんの記念碑があり

加藤さんの名前が付いた小中学校も設立されています。

加藤さんのお墓はなんと歴代大統領と並んで立てられていて

加藤さんの命日には現在も献花する人がいるそうです。

日本の裏側の南米ペルーでの加藤さんの偉人伝説が

どれほど凄かったのかお墓のある場所でも理解できますね!

ペルーの英雄 加藤明さんの死因

加藤明さんがペルーで亡くなったのが1982年3月20日

始めてペルーで女子バレーの世界選手権の開催が決定した年でした。

初出場のオリンピックで4位という快挙を

ペルー女子バレーチームを指導して3年で成し遂げた事で

ペルーの英雄として有名だった加藤明さんだっただけに

亡くなった当時はペルー国民に凄い衝撃を与えました。

加藤明さんはペルー女子バレーチームの目標がありました。

それが

「世界最強の日本女子バレーに勝つ事」

その為に日本での仕事を退職してペルーへ移住を決めた矢先に

ウィルス性急性肝炎になってしまいました。

この病気の為に最終的には女子バレーチームの監督を辞任する事に

1982年にペルーでの世界選手権開催が決定した時には、

加藤明さんの容体は悪化していて体力の限界だったようです。

そして49歳の若さでこの世を去りました。

加藤さんの死因はウィルス性急性肝炎だったんですね!

このペルーの英雄が残した偉人伝説の主人公達

ペルー女子バレーチームは加藤さん夢を達成すべく進化

ペルーで開催された世界選手権で

日本から勝利をもぎ取り銀メダルの快挙

既に亡くなっている加藤さんの名前が会場中に鳴り響いたそうです。

最後に

ペルーの英雄・加藤明さんの偉人伝説について調べてみました。

趣味レベルのペルー女子バレーチームをわずか3年という短期間で

初出場のオリンピックで4位の快挙を成し遂げた加藤明さん

厳しい練習から監督就任当初は野蛮な監督と誹謗されていたのですが、

選手達とコミュニケーションを練習以外で取って

監督の熱意を理解してもらった事で

趣味レベルを世界レベルまで引き上げたのが加藤明さん

偉人伝説と理解できるのは、

加藤明さんの葬儀に5万人の市民と大統領からの弔辞

そしてお墓の場所が歴代大統領の隣にあるという事

日本の裏側のペルーで英雄となった加藤明さん

日本人として誇りに思う人物ですね!

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