佐藤勲の偉人伝説と経歴!年収やベルリンの壁崩壊のキッカケについて【世界ナゼそこに?日本人】

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【世界ナゼそこに?日本人】で佐藤勲さんが紹介されるので経歴を調べてみました。

佐藤勲さんのベルリンの壁崩壊のきっかけとなった偉人伝説って何なんでしょう?

花火師の佐藤勲さんがベルリンの壁崩壊のきっかけを作ったって

どんな事をしたんでしょうね?

佐藤勲さんの偉人伝説と言われるベルリンの壁崩壊のきっかけや

花火師としての経歴や年収に家族などを調べてみました。

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佐藤勲さんの偉人伝説

佐藤勲さんがベルリンの壁崩壊のきっかけとなった偉人伝説って

どんな事なんでしょうか・・・?

ベルリンの壁で東西に分断されていたドイツでの出来事

西ベルリンで開催されたベルリン市制750年祭典で

なんと7000発の花火が夜空を彩ったのです。

この花火を担当したのが日本人の花火師・佐藤勲さん

ベルリン市制祭典で花火を打ち上げてほしい

東ベルリンの人達にも花火を楽しんでもらいたいと

佐藤勲さんは西ベルリン市から依頼を受けたそうです。

記者会見で佐藤勲さんが

ベルリンの地上には壁がありますが、空には壁がありません。

日本の花火はどこから見ても同じに見えます。

西も東の方も楽しんでくださいとコメントしたそうです。

この佐藤勲さんの記者会見でのコメントが

翌日の西ドイツの新聞の一面を飾って

西ドイツで話題となりました。

それから2年後の1989年にベルリンの壁が崩壊したのです。

ベルリンの夜空に打ち上げられた花火でなく

花火師の佐藤勲さんのコメントが当時注目されたんですね!

その花火打ち上げから2年後にベルリンの壁が崩壊しましたが、

佐藤勲さんのコメントがどれほどベルリンの壁崩壊に影響を与えたのか

わかりませんがベルリンの壁崩壊のきっかけとして

西ドイツの住人に空には分断される壁がない

壁で分断される意味などを考える要因になったんでしょう。

花火師として佐藤勲さんが

西と東に分断されているベルリンに暮らす全ての人達に

花火を見て楽しんでもらいたいという気持ちが

このコメントになったようですが、

この花火師のコトバが西ベルリンの住民に多大な影響を与えた事は確実ですね!

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佐藤勲さんのプロフィールと経歴

佐藤勲さんのプロフィール

名前:佐藤勲(さとういさお)

生年月日:1910年(月日不明)

享年:86歳(1996年)

出身地:秋田県大曲市

職業:花火師

出典 http://usaponn.com

佐藤勲さんの経歴

佐藤勲さんの夢は映画監督になる事だったそうで

花火師と全く無縁の職業ですね!

花火師となる以前には金物屋を営んでいた佐藤勲さん

佐藤勲さんの地元・秋田県大曲市の花火は全国でも有数の花火競技大会として

人気があったのですが、昭和30年代に観客動員数が頭打ちとなったのです。

大曲市の花火の存続を図る為に

当時、商工会実行副委員長兼企画員として関わっていたのが佐藤勲さん

花火大会に関わったのが47歳で花火には全くの素人!

当時の花火師というのは花火の添え物程度の扱いだったそうですが、

佐藤勲さんは花火の玉を購入しているじゃなく花火師の才能を買っていると

花火師の技術や人間性を評価して信頼関係を深めていったそうです。

しかし全国では大きな花火大会が各地で開催されるようになり

大曲市の花火大会が危機的状況を迎えいた頃

佐藤勲さんが52歳の時に花火大会実行委員長に

当時観客動員数が5万人まで落ち込んでいたのを20万人まであげたい!

それには新しい花火を打ち上げて町おこしのためにもアッと驚く花火大会にしたいと

アイデアを考えていたそうです。

花火工場を訪れた佐藤勲さんにアイデアが・・・

花火は丸くなくてもいいんじゃないか?

当時の常識を破るユニークな発想だったんですね!

そして考案した新しい花火というのが

・花火は丸くなくてよくて三角でも四角でも形にとらわれない

・複雑な配色をさけ単色化

・花火の筒の代償の合わせでリズム感と立体感を狙う

佐藤勲さんの狙いは昔ながらの花火でなく

一般人が楽しめるショーにする事で観客を呼べるというものでした。

出典 https://www.pahoo.org

当時の花火大会というのは伝統の技を駆使して

いかに美しくどこから見ても丸い形になるかが重要だったそうで、

佐藤勲さんのアイデアを発表したら周囲からの反対で一蹴されたそうです。

でもめげずにアイデアがだめになってすぐに全国の花火師を訪問して

相談と説得を続けたそうです。

これまでの花火師との信頼関係があったお陰で花火師の賛同を得て

翌年の花火大会では全国で初めてとなる創造花火と名付けられた

常識破れの新しい花火が打ち上げられました。

水彩画のような色彩とリズム感と立体感に花火師の独創性が感じられて

観客からは惜しみない拍手と歓声が上がったそうです。

この年からは通算大臣賞が授与されることになっていたそうで

翌年には競技として創造花火の部が設立されて

創造花火が日本全国に知れ渡ったそうです。

創造花火を作り出しただけでなく

その後には音楽に合わせて花火を打ち上げるアイデアなど

確信的な花火を打ち上げて毎年観客数が増え続けて

目標だった20万人も突破

今では日本一の花火大会とまで呼ばれるようになっています。

1979年 西ドイツ・ボンの「世界ガーデンショー」参加

1983年 西ドイツ・ジュッセルドルフで花火打ち上げ

1987年 西ベルリンとジュッセルドルフで花火打ち上げ

1989年 秋田県文化功労賞受賞

1990年 「世界の花火師大曲会議」開催

1992年 「国際花火デザインフェアイン大曲」開催

国際花火デザインフェアイン大曲では7ゕ国の花火業者が集まって

花火の芸術性やイベントの安全性などと創造花火の発展について

会議が開催されたそうです。

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最後に

花火師の佐藤勲さんの経歴や偉人伝説について調べてみました。

ベルリンの壁崩壊のきっかけとなったのが

地上に壁はあるが空に壁はない!

東も西の方も花火を楽しんでほしいという佐藤勲さんのコメント

翌日に西ドイツの新聞の一面を飾って話題となった佐藤勲さんのコメント

その2年後にベルリンの壁が崩壊しています。

ベルリンの壁について西ドイツの住民が考えるきっかけを作ったのが

佐藤勲さんの偉人伝説という事でしょう。

日本国内でも佐藤勲さんの偉人伝説があって

地元・大曲市の花火大会を復活させて

日本一の花火大会とまでよばれる大会にしたのが佐藤勲さん

当時の常識では考えられない丸くない花火や

リズム感や立体感など花火師の創造性を追及した花火を

創造花火と名付けて大曲市の花火大会を復活させた立役者だったんです。

佐藤勲さんが花火大会で重要視していたのは花火の打ち上げでなく

花火師との交流で伝統や業界の昔話

その話が若い世代の財産になるという事

花火業界を盛り上げた立役者の佐藤勲さん

花火業界だけでなくベルリンの壁崩壊のきっかけまで

影響していた素晴らしい人物だったんですね!

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