田中明男の経歴(嫁・子供)!72年間ロシアに残こり一時帰国した理由とは?

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ロシアのレニングラードのポギ村に暮らす田中明男さん

現在91歳という高齢で70年間も日本に帰っていなかった元日本兵

ロシア人の記者がソフホーズの取材をしていて

偶然にも日本人の田中明男さんが暮らしているのを発見したんですね!

田中明男さんのプロフィールや経歴に

結婚して嫁さんや子供がいるのか・・・?

なぜロシアに残って暮らしていたのか?

日本に一時帰国した理由などを調べてみました。

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田中明男さんのプロフィールや経歴

ロシア名:ピョートルタナカ

日本名:田中明男(たなかあきお)

生年月日:1927年(月日不明)

年齢:91歳(2018年)

出身地:北海道江別市

出典 https://ameblo.jp

田中明男さんの父親は江別市と札幌市で旅館を経営

実母は幼い時に亡くなっていて父親が再婚

再婚相手と田中明男さんの関係は良くなかったそうです。

17歳で学校を卒業してすぐに

満州の関東軍に志願して入隊

田中明男さんが語るには

前線で死を恐れぬ闘いぶりが評価されて

金の星の勲章をもらって軍曹になったそうです。

1944年に砲弾の破片で目を負傷して片目を失明

1945年8月には関東軍60万の将兵と一緒にソ連軍の捕虜に

中国からハバロフスクに送られています。

ラーゲリにある第16収容所で森林伐採作業をして

10年間を過ごした田中明男さん

捕虜の解放が始まるとウラジオストクに移動して

ソ連のパスポートを取得

この時に田中明男からロシアの名前のピョートルタナカに変更

ウラジオストクでエンジン関係の勉強をして

旅客船「イワン・クリビン」号で働いたそうです。

1960年代半ばにウラジオストクからレニングラードに移動して

ソフホーズ「フョードロフスコエ」で働き始めました。

レニングラードでは

牛の放牧にボイラーマンに電気工と様々な職業を経験

勤務態度が良かったようで何度も黒海沿岸の保養地へ招待されて

無料で休暇を過ごしたそうです。

18年間ソフホーズで働いて年金生活になった田中明男さん

現在はポギ村の小さなアパートで暮らしている田中明男さん

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田中明男さんの嫁や子供

満州の関東軍に入隊してソ連の捕虜となった田中明男さん

捕虜解放の時からロシア人として70年以上

ソ連で暮らしていますが、

結婚して嫁さんや子供がいるのでしょうか・・・?

田中明男さんはロシア人の女性と何回か結婚されたそうです。

何回か結婚したワケというのが、

嫁さんに先立たれたからのようです。

田中明男さんには子供がいるようですが、

ソ連にいる子供達について頑固に話をしなかったようなので

子供といい関係じゃないみたいですね!

現在はポギ村のアパートの小さい一部屋で一人で暮らしているので

子供達とは絶縁状態のようですね!

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田中明男さんがロシアに残った理由

10年間という長い間ラーゲリの第16収容所で捕虜として田中明男さん

捕虜の解放が始まって、多くの日本兵達が船で日本に帰還していました。

なぜ田中明男さんはロシアに残ったのでしょうか・・・?

出典 https://ameblo.jp

田中明男さんは関東軍の指揮官の一人

捕虜の解放が始まって日本に帰還したのは普通の兵士達

捕虜となったほぼすべての指揮官は

日本に帰還せずにロシアに残ったそうです。

ロシアに残った理由というのが

指揮官の間では、日本に帰還すれば裏切り者として

絞首刑か銃殺されると噂されていてその事を信じていたそうです。

その為に、日本に帰還したくても

祖国に帰ると絞首刑か銃殺が待っていると信じていた事から

命の危険を感じてソ連に残ったんですね!

田中明男さんが日本へ一時帰国した理由

ロシアに残って70年以上の間、ロシア人として暮らしてきた田中明男さん

終戦後に帰国しませんでしたが、

祖国の日本にいつか戻る日を常に夢見ていたそうです。

出典 https://ameblo.jp

1970年代にはレニングラードの日本領事館を訪れて

田中明男さん自身について話をしたそうです。

日本領事館では日本に連絡して調査をしてくれて

田中明男さんの父親は亡くなっている事が判明

姉妹の居所も判明して手紙を出したそうですが、返事がなく

田中明男さんは

捕虜となった兵士の家族は恥と感じるから

姉妹が裏切り者と思って許してくれないのだろう。と思っていたそうです。

どれだけ満州の関東軍で洗脳されたんでしょうね!

今なら想像がつかない話ですけど

田中明男さんは日本に帰還していなかった事で

関東軍の洗脳状態のまま暮らしていたんですね!

ロシアの記者がソフホーズの取材をしている時に

ソフホーズの労働者が土地を寄贈したというのを聞いて

その人物が日本人だと知ったのがきっかけで

記者が田中明男さんの存在に興味を持って会いに行ったそうです。

ピョートルタナカと名乗る田中明男さんが

このロシアの記者に自分の人生を語って

戦後、一度も日本に帰っていない。

死ぬまでにもう一度、日本をこの目で見たいと語った事から

田中明男さんに日本に帰国させる手助けが始まりました。

シベリア抑留問題の研究家の富田武成蹊大名誉教授を筆頭に

ロシアと日本で多くの人達が助けの手を差し伸べて

田中明男さんの日本への一時帰国が実現しました。

最後に

元日本兵の田中明男さんについて調べてみました。

満州の関東軍に入隊してロシア軍の捕虜となった田中明男さん

戦争が終結して捕虜の解放時に日本に帰還せずに

ロシアに残りロシア人として暮らし始めたのは、

日本軍の指揮官達の間では、

捕虜となった者が日本に戻ると

絞首刑か銃殺されると信じていた事から

命の危険を考慮してロシアに残ったようです。

偶然にもロシアの記者が取材で訪れて

田中明男さんの存在を発見して興味を持たなければ

日本への一時帰国の夢は実現しなかったんですね!

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